人間が決める人間の限界

私達人間には寿命が有ります。

これはどう逆らってもどうにもならない運命のように見えます。

しかし本当にそうでしょうか?

何か原因が有るのではないかと考えたことはありませんか?

私はこれまで、人間が「立つ」て来たことに原因が有るのではないかとずっと考えてきました。

つまり「立つ」て「歩行」する。

それが「歩けなく」なり。

「寝たきり」になり。

「死」に至る。

その負のシステムが解明出来れば不老長寿も夢ではないと思い続けて来たのです。

 

それがここに来て一応の結論が導き出されてきたのです。

それが「随意筋と不随意筋」との関係です。

これまで常識的に「随意筋」とは自己の意思で使用できる筋肉であり、「不随意筋」とは自己の意思とは関係なく動く筋肉であるとされてきています。

確かにそれには説得力が有りますし、これまで接してきた整体師も一応にその常識に反論を唱える人はいませんでした。

 

しかし最近「はた」と考えるところがありました。

DANCEにおいて一般的に日本で使用される筋肉は随意筋です。

自分で考えることが出来、使用できる筋肉を総動員して、踊りかつリード&フォローしているのは明白ですし誰もそれを疑っていません。

その日本人が海外でDANCEを戦う場合、ヨーロッパ人に比べて先に体力の限界を露呈し、酸素ボンベや栄養ドリンクに頼っている姿は、当たり前のように見かけます。

しかしヨーロッパ人はラウンドの間に葡萄一粒を口に放り込むだけでフルパワーで踊り通すことが出来るのです。

この差は何でしょう。

 

実は私も還暦を過ぎてもフルパワーで踊り通すことは出来ます。

それは彼らの舞踏法に改良を加えてきたからなのですが、それでは彼らの舞踏法というと何でしょう?

それは有酸素運動により内臓を動かしているのです。

日本方式の場合内臓を止め、随意筋の限界まで踊り込みます。

彼らは随意筋を止め、内臓を限界まで動かしているのです。

 

しかしそれでも彼らにも限界はあります。

内臓疲労が起きない訳では無いからなのです。

それでは何故内臓疲労が起きてしまうのでしょうか?

それを解くキーワードは「立つ」です。

 

つまり立って随意筋を使ってしまうが故に疲労してしまうのです。

彼らの舞踏法は随意筋を使って不随意筋に振動を与えてそれをコントロールしていたに過ぎないのでした。

私は「その先」を求めました。

その結果出てきたのが「不随意筋を随意にコントロールする方法」です。

 

答えは簡単。

立たなければ良いのです。

しかし四つん這いになっても、立っていることには変わりありません。

つまり随意筋で立つことをやめ、不随意筋で立てばよいのです。

 

しかしコントロール出来ないのが不随意筋です。

どうしてコントロール出来ないのでしょうか?

答えは「立つ」ているからです。

つまり「這えば立て、立てば歩めの親心」がコントロールの限界を作っているのです。

 

それは人間の限界を人間の歴史が作っているのと一緒だと考えて良いでしょう。

私達人間がそこから解き放たれた時に不老不死が待っているのかもしれません。

あと80年先に私がまだピンピンしていたらそれも証明出来るのですが、、、。