時代を超えて

先日、十数年ぶりに、元生徒が訪ねてきました。

彼女は昔カップルを組んでいて、それで私がカップルレッスンを教授していたのですが、リーダーとカップルを解散した後、別のリーダーと暫く組んで、それも教授していましたが、最終的に縁が無かったようで、結局これも解散してしまい、年始状のやりとりだけの、お付き合いになっていました。

それが今回、名古屋のNカップルの車に同乗して、来校してきたのです。

今回の彼女の目的は、自分の孫のレッスンの為でした。

彼女の孫は今、中学生と高校生のカップルと、小学生のカップルを組んでいるのですが、その孫達が今年の武道館における試合に参戦するので、そのサイドコーチを願って来たのです。

私は幼稚園生は教えたことはあるのですが、年少者のカップルは教えた経験が無かったので、やや緊張気味の御対面でした。

しかしレッスンが始まってしまえば、そんなことは忘れてしまい、いつの間にか教授に熱中している私が、そこにはいました。

子供というのはハッキリしていて、少しでも誤魔化しや偽りがあれば、全く言うことを聞きません。

しかし今回の子供は、私の教授内容を理解し五感で感じ取って、吸収して行ってくれました。

彼等が去った後、妙な疲れと充実感が残ったのですが、それは貪欲な吸収力の「餓鬼」に接した疲れと、次の時代に自分の教えの種を残したという、充実感だったようです。

私は今まで、自分の研究結果や悟りは、このまま墓場まで持っていくしかないのかという、孤独感にさいなまれていたのですが、おばあちゃんに一生懸命に教えていたことが、孫という若い芽に受け継がれていくというこの現実に、頑張ってきて良かったと、その日は乾杯しましたのでした。

まさしく私が撒いた種は、思いもよらない所に、次の種を撒いたようです。

それは、私が全く予想だにしない場所でした。

人間の営みというものは、面白いものです、、、。