日本舞踏教師協会終焉の始まり

9月14日社団法人日本舞踏教師協会の総会が行われ、新理事選出が行われました。

これは名誉会長死去に伴い、進行途中であった、国のダンス教師試験認定団体獲得の為の、第一次理事選考の始まりでした。

私も選出されたのですが、そこに至る道程や、その後の第一次理事会での話等、総合してみて、とてもこの集団では、会の未来は無いと判断して、職を辞して帰って来ました。

先ず総会会場に入りますと、狭い会場に異様な雰囲気の人の波。

現執行部更迭の目標を掲げる反対派は、皆意を決したような討ち入り前の表情。

迎え撃つ執行部は、総会を乗り切るための、あれやこれやの乗り切り戦術を、あちらこちらに衣の下の鎧よろしく、用意していました。

結果、総会終了の軍配は、事前根回しの勝った、執行部に挙げられました。

午後に入り第一回理事会が開かれたのですが、最終的印象として、「これからこの人達は名誉会長のマインドコントロールを受けたまま、滅亡の道を進んでいくのだろうな」というものでした。

私が副会長職に一般会員から抜擢されたのは、名誉会長の鶴の一声で、会の存亡危機に対しての改革役としてでした。

私は審議執行委員長という役職を兼務させられ、会の立て直しに望むことになりました。

名誉会長の晩年には、痴呆症が出て、私は側近によって遠ざけられましたが、まだ一縷の望みがあったのです。

それは会全体にかけられた、名誉会長のマインドコントロールを、全員に気づいてもらい、会を一から出直すというものでした。

その為には社団法人の法人格に適した配置配分と目標そして精神が必要になります。

私は総会での議事進行を見守りました。

結論は「頭を失った牛が暴れているだけ」

自分たちが置かれている立場を全く理解していない人達の戦争で終わりました。

「勝って空しく、負けても空しい」

つまり「愛するものが何も無い」からなのです。

自分を愛し、他人を愛し、自然を愛する。

少なくても自分を愛することさえ出来れば、他人の所有する「自分」を理解することが出来ます。

そうすれば会を愛することも出来るし、ダンスに関わってくる、全ての人達を愛することが出来ます。

それが社団法人から国家公認法人へ移る為の、必要最小限の「品格」なのです。

しかし理事会で出た言葉は「利益追求団体」でした。

今後こういった団体が国の認定を受け、多数ダンス教師試験を施行するものと思われます。

どこも五十歩百歩、似たようなものでしょう。

しかし国家の権威を借りた狐の行為こそが、最もダンス界を危うくするものであると、ここで警鐘を鳴らしておきたいと思います。

ダンス界浄化の試みは、ここに一つ又、潰えてしまいました、、、。