今踊

さて「今踊」という形をとって「無の踊り」を「空の舞台」でやるという試みはスタートしました。

あれから一週間が経ち生徒も半信半疑ですがその方向性に向かって進みだしたように見受けられます。

先日時輪先生にこんな質問をしました。

「時輪君、僕は今、自分が何者なのか分からなくなってきちゃっているんだよ。」

「神のホルモンの先を皆に説明しようとしたら{そこから先は踏み込んではいけない、秘密にしなさい}と言われるし」

「もう先を見ないで引っ張ってきた皆の方を向かなければとは思うんだが」

「もうダンスの先生ではないし、かといって宗教家でもないし、ましてやマッサージ師や祈祷師でもなし、一体今の僕って何に見えるかね?」

そうしたら彼が「先生は今、空舞台そのものなんじゃないですか?」

「先生しか提供出来ない空舞台を皆の為にする」

「そういう役目を預かっているような気がします」と言うのです。

そういえば空舞法師という法名を授かってから、一生懸命「空」を踊ることを心掛けてきたし、それが空舞導師となってからは衆生に空の世界を体感してもらえるように引っ張ってきた気がします。

それが今回、空舞台「今踊」の誕生は私が初めて神仏の方を向かないで衆生の方を向いてする行為なのです。

昔私が内弟子生活していた頃、私をA級に導いてくれた新宿の鍼灸師の初老の女の先生は私に「貴方はもう自分で舞踏派を立ち上げるように田舎に帰りなさい」「貴方はこんなところにいると駄目になっちゃうよ」と真剣に忠告してくれました。

私は自分が世界に出て日本の踊りとの彼我の差に愕然としてから、「世界のトップの踊りをどうやったら日本に持ち帰ることが出来るか」そればかり考えて学習に励みました。

だから日本において周囲と自分の踊りとの相違感は覚悟の上で「これが私の舞踏だ」と筋を曲げませんでした。

そして海外の師匠の欠点や矛盾点に遭遇すると彼らの神の世界にまでその研究の手を伸ばしそれが罪深き人間の背負わされた罰という欠点なのだということを知らされました。

それからダンスの研究ではなく「人間と神」の研究に埋没するようになりました。

そしてその研究結果を皆にDANCEを通じて知らせるのが私の舞踏派であると思うようになっていました。

それが今年の大雪災害で皆が疲弊しきっていたのが「もう皆についてくるエネルギーは残っていない」「これからは皆の方だけ向いて生きていこう」と決断させた原因なのです。

実はこの原稿は「閻魔様の御前」で入力しています。

だからもう後戻りならぬ「先送り」は出来ません。

空舞台を衆生の眼前に出現させそこで弟子に無の踊りを舞わせてあげることこそが今の私の存在価値なのだと思います。