究極の「衆生を益する」DANCEを追求するとどうしても旧約聖書の創世記と世界の黎明期の記述そして密教系の神仏集合の曼荼羅世界に行ってしまいます。
つまり「私達は何処から来て何処へ行くんだろう?」という問いの世界を、こちらからの学問だけでなく「向こう側」からの流れを主流に解き明かして行く世界にハマるのです。
そして「何処へ行くんだろう?」を主軸に置けば現在の競技ダンスの行く先を覗くことになりますし、「何処から来て?」を主軸に置けばもっと素晴らしい芸術的なダンスを追い求めることになります。
しかし「何処から来させて何処に行かせようとしているんだろう?」と考えれば、最初に記述した世界にハマらざるを得ないのです。(というかハマったのです)
掲載した写真は「何処から来させて?」の起点を発見した後、「何処に行かせようとしているのだろう?」という終点を発見する岐路にて悟った証を七言絶句にして神生喜楽庵という私の庵の、次の間の床の間の掛け軸に記したものです。
神生喜楽庵
無空有仏向初生
空無有神向初生
有空無在人向存
我空無有在庵内
空舞
というのがその内容ですが、読み方は悟りが達すれば自ずと解ります。
大事なのは私が今やっと「存」の文字の上に来たことです。
つまりターニングポイントを通過したことなのです。
これからやっと皆様の方を向き「そこにいる」ことが出来ます。
これで時空を超えて永劫への旅が始まったようです。
時には良寛さんのように、時にはiPhoneのように、、、。
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