世界の競技DANCE界において西暦2000年まで主流だったのが自発の踊りです。
競技ダンスでは背番号を付けている男性が目立たなければ点数を入れてくれるきっかけさえ掴めないのですからこれは当然の帰結です。
但しリーダーの自発に従うテクニックだけではパートナーは奴隷のように見えてしまいます。
そしてまたこれではカップルの外観もよろしくありません。
そこで究極の多発から攻めることが採用されました。
つまりリーダーの個を決定する前にカップルを形成し、その後にカップルの個々を確立し、その後にリーダーの攻撃力という戦う力を鼓舞して点数をもぎとろうというもので現在の世界ダンスの結論とも言えます。
最初に形成するカップルとは「地の力」を持って構成します。
次に構成するカップルの個々とは所謂皮膚感という「天の力」を持って構成します。
最後の攻撃力とは「人の力」を持って構成します。
それでは現在の日本人のダンス感覚はどうでしょうか。
まずリーダーの真っすぐという個を「人の力」を持って構成します。
次にカップルの個々のコネクションを「地の力」で構成します。
最後にカップルの攻撃力を「天の力」で構成します。
つまり「人として真面目に有らんとし」「それぞれの肉体を最高に用意し」「互いの精神力で打ち勝つ」というのが日本人の世界における競技ダンスで戦う時の姿です。
まるで第二次世界大戦で敗戦した時のような在り様ですね。
その結果現在の世界ランクでは日本はまさに「敗戦国」です。
しかしいい加減にもうこのような古いシステムから脱却しないと世界のダンス戦争には勝ち残っていけません。
世界は今「人として最高に戦う姿」と「男女が肉体的に最高のエネルギーが発信出来るように」しておいて「個々は常に最高に誇れる皮膚感にしておく」というものです。
みなさんはこれが単にダンスの世界だけのことであると考えていると思いますが実は「一事が万事」なのです。
一番の肝は「人間とは戦う姿こそが最高に貴い」ということで「平和を勝ち取る」「人権を勝ち取る」「生存権を勝ち取る」等枚挙に暇がありません。
つまり「平和」「人権」「生存権」に意味があるのではなく「勝ち取る為に戦う」ことこそ最高に人間が生きている姿なのです。
ワールドカップという「たかがサッカー」であってもあれだけ世界の国々が国民総出で応援する姿は実はこれなのです。
皆さんは今「平和」「人権」「生存権」に意味を見出して「如何に真っすぐ姿勢を正してこれを維持していく」と思ってはいませんか?
これはそのまま日本を世界の敗戦国として「平和」「人権」「生存権」を奪われていく方向に誘導していることをいい加減に気付かなければなりません。
ダンスの世界でも「敗戦国」は惨めなものです。
戦勝国で勝手にルールが決められ自国に都合のよいシステムにどんどん変更されていきます。
私達日本人は戦うことを忘れた民族です。
昔某日本人の現役ファイナリストが英国の現役ファイナリストに習っていました。
それを見た私のデンマークのコーチャーが「よく日本人はこれから自分が戦おうという相手に習えるもんだな?おかしいんじゃないのか?」と指摘していました。
でも日本人ならこんなことは朝飯前。
ある時は日本人の競技選手が英国人のコーチャーの前でひれ伏していたことがあります。
たぶん恭順の意を示したのであると思いますが彼らはそうは受け取りません。
「何をやっても怒らない民族」と捉えるここと思います。
ヨーロッパのホテルで日本人と台湾人と韓国人と中国人は朝食の席が隔離されます。
韓国・中国・台湾は他のヨーロッパ人の迷惑にならない所へ隔離。
日本人はヨーロッパ人が嫌がる席をあてがうのです。
私は日本人ですから一般の日本人と同じように扱われます。
彼らは人種差別は当たり前ですからそこに関しては文句を言いません。
しかし舐めた真似をしたら只ではすませません。
徹底的に非を正して改善させます。
昔ウイーンの古城ホテルで隣が結婚式場である部屋に案内されたことがあります。
丁度(というかやっぱり)結婚式が行われており夜十時を回っても一向に終わる様子がありませんでした。
私はフロントに電話して「一体何時になったらこの馬鹿騒ぎは終了するのか」と聞いたところ「さあ、わかりません」との返事。
私は切れて「冗談じゃない、今からフロントに行くから支配人を呼んでおけ」と怒りフロントに向かいました。
フロントでは支配人が待っていたので「さて、どうやって相手の不当を理解させようか?」と思い悩んで話そうとすると。
「川﨑様誠に申し訳ございませんでした」「今からVIPルームに変更させて頂たいのですが如何でしょうか?」ときたもんだ。
「へ?」
快適な一夜でした。
こんな日本人ばかりなら日本は世界一の戦勝国になれるでしょうね。
ただ私を変わり者扱いしているようでは無理?か、、、。
コメントをお書きください