写真は父の遺品を整理していたら出てきた、昭和天皇御成婚のものです。
天皇家は神武天皇以来の「現人神」(あらひとかみ)の家系です。
神武天皇は高天原から天照大御神様の命を受けて天孫降臨し、日本を治めた神族の末裔です。
日本の国旗である「日の丸」は、この神武天皇が「日を背にして戦い勝利した」所から来ていると思われます。
彼らは「天照大御神様の御魂」を御祭りすることにより日本を治めました。
その「御魂」とは「八尺鏡・八尺勾玉・草薙藝剣」に宿るというものでした。
その「御魂」を戴いた魂は全て「分け御魂」ということになり、私達の先祖をさかのぼると、そこにもその「分け御魂」の配分がなされたようです。
だから天皇家だけが神様の直系というわけではなく(正確には神武天皇の直系ということなのでしょうが)、天照大御神様の分け御魂を戴いた魂は全て「神の子」ということになるらしいのです。
だから私達の魂は「日本人である限り」神から戴いたものなのです。
しかし高天原を治めている天照大御神様は、その先祖神である別天神様・天神様の子孫です。
だからルーツを探ると私達の魂の先祖は「天之御中主神様」という旧約聖書の創世記にある「混沌の神様」と同体である神に行き着くのです。
では「混沌の神様」の実態はというと、「宇宙の魂」と考えるのが妥当だと思います。
だから日本人のナショナリズムを深く探っていくと、宇宙の神様まで行き着くのです。
ということは日本の平和は宇宙の平和、ひいては地球の平和ということになります。
そうすると日本のナショナリズム、イコール軍国主義という定義付けは「ナンセンス」ということになります。
だから私達日本人はその魂の祖先に何一つ恥じることは無いのです。
それではその魂の実態とは何でしょう。
直接的な魂の先祖である天照大御神様は元々「光明の神」であり、その光は伊邪那岐の命が禊払いをした時発生したものです。
だから「清廉潔白な光」こそが直接的な私達の魂の「拠り所」なのです。
毎年正月近くなってくると近くの神社から伊勢神宮の護符が回ってきます。
あれは一年の始まりである正月の初日の出に、新しい護符によって天照大御神様の清廉潔白な光を観じ、分け御魂の本分を一年間全うしなさいという趣旨が込められています。
しかし私達の魂は放っておけば曇り汚れてしまいます。
いつも清浄に保たなければその「神の分け御魂」を全うすることは出来ません。
その汚れには「外に付く汚れ」と「中に生じる汚れ」とがあります。
外に付く汚れは「肉体的な汚れ」で中に生じる汚れは「精神的な汚れ」です。
私達はこの二種の汚れを浄化しておかない限り、「神の分け御魂」の力を全て発揮することは出来ないのです。
さてここまでは国内向けのお話です。
つまり日本人同士の場合では「より清浄な分け御魂」程、勝利が容易である訳なのです。
但し海外・世界・地球規模で考えるとこれだけでは足りません。
混沌の神である「宇宙の魂」まで行き着かないと勝利はおぼつかないのです。
まず天照大御神様でさえその先祖神の分け御魂であると考えて下さい。
だから私達の「天照大御神様の分魂」の中に、その先祖神の魂を観ずることが出来れば世界に通用する、いや勝利する魂と成れるのです。
宇宙の魂・銀河系の魂・太陽の魂・月の魂・地球の魂と貴方の分魂が共鳴したら何も怖い者は有りません。
踊りに関して言えば、私が皆様にお勧めしたいのは「人様に評価してもらう踊り」ではありません。
「自分にある神様の分け御魂に恥じない踊り」なのです。
私達日本人には世界に誇れる分け御魂が存在しているという誇りを持って、日々を生きていこうではありませんか。
その為には日々「魂の浄化」に努めて下さい。
合言葉は「清らか」です。
私が昔、生徒に用意した「ダンスが上手くなる勾玉」の正体は、じつはこの「宇宙の魂」だったのです。
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