2019 今踊Ⅵを終わって

このHPの更新を全くしないで、二年が経過しました。

 

その間私のFBや LINE等では、発信を週二回のペースで、継続していましたので、そんなに経つとは、思ってもみませんでした。

 

さて今年の「今踊Ⅵ」は「曲を踊る」のが、本校のテーマでした。

 

愛知からの年少参加組には競技スタイルを、神奈川からの賛助教室には種目デモと、分けて演技してもらったので、多少なりともその変化のほどは、確認できたのではないかと思っています。

 

種目を踊る場合は、そのテクが中心の演技になります。

 

競技を踊る場合は、審査で残ることに、主眼が置かれます。

 

曲を踊るということは、曲の足りない部分に、自己の表現がなされ、カップル表現に、種目や競技の要素が足されます。

 

実は曲を踊ることが出来たら、それがこれからのDANCEの魅力の、伸び代になっていくのです。

2017 横浜賛助を終わって

横浜の外弟子である、工藤先生のパートナーが亡くなって、一年経ちました。

2017「今踊」を大成功に収めた私達は、休む暇なく、この横浜賛助にシフトチェンジしました。

今回は命をギリギリまで見つめて、「限りある命と限りない命」の競演をやろうと思い立ちました。

出演するスクールメイツ始め、デモ出演者には、限りある命を吹き込んで、満足する結果が出せたようです。

又、シングルになった工藤先生の、お相手を務めるために、薬害を押して命の限りを踊った、私のパートナーの春栄先生も、期待に違わぬ踊りを見せて、観衆を涙の渦に巻き込んでいました。

実は私が、ストーリーを描いて、妻を亡くした男が、精霊との踊りのきっかけにより、立ち直って未来に向かう姿を、演出したのです。

もちろん工藤先生も、見事に演じきって、満場の拍手を浴びていました。

私達の「神の踊り今踊」は、舞踊の中にテーマと感動を演じられるものです。

今回は、其の真価が発揮出来たのだと思います。

ダンス界が低迷を始めた今、私達の踊りにスポットが当てられるのも、そんなに遠く無い気がします。

「今踊 2017」を迎えて

今年もまた7月に、第四回目の「今踊」を迎えます。

私達にとって、この「今踊」は、自分達の人生の総決算です。

 

毎年この機会を迎える度に、「今年こそ発表をする生徒を、魂の叫びの中に、誘うことが出来るだろうか」と、魂のテンションが上がってきます。

 

現在の進捗状況によると、今回のテーマは「御魂と分け御魂」に、なることが予想されます。

 

御魂や分け御魂が、宇宙の神のそれに、どれだけ近づくことが出来るかが、自分達の合否の判断基準になります。

 

しかし、どうであれ生徒にとっては、人生の「素敵な寄り道」になることは、間違いないと思います。

 

あと三ヶ月を残すだけになりました。

 

そろそろ仕上げにかからなければ、、、。

 

 

 

今踊 III「命を踊る」を終えて

「今踊 III」(命を踊る)を終えて。

 

2016年7月17日(日曜日)に、KDSの真骨頂のイベント「今踊」の第3回目が、満員御礼の中、イベントホール「空舞台」において開催されました。

今年のテーマの「命を踊る」は、現在の世界の競技会で、「命を削っている」舞踏方に、真っ向から批判を加え、「観客に命を伝える」、舞踏ではない形式の、「舞踊としてのダンス」を、提案してみました。

 

私たちの世界のダンスに於ける命は、過去の世界の先達の導きで、「神の世界に近づく」清い流れに終始してきました。

しかし昨今の流れは、人間の審査による、所謂「汚れた血」の審査になっております。

私達は、この死に至る流れにストップをかけるべく、ここに提案させてもらいました。

今は小さな潮流ですが、きっと大河をも飲み込む、畝りになると確信しています。

演技者と観客が一体になって、一つの大きな日本の魂の集合体を形成する今回の企画は、会場を大きな魂の畝りを創り出しました。

来年の「今踊 IV」は、更にその魂の先を、目指すことになります。

御期待下さい。

 

 

 

 

今陽 弐 を終えて

7月の19日(日)に、KDS「空舞台」において、「今踊 弐」を開催いたしました。

演技発表者の関係者に多数御集り頂き、座席は全て完売となり、賑やかなイベントとなったことを、ここに御礼かたがた御報告申し上げさせていただきます。

現在のダンス界の未来に暗雲を感じ、去年から立ち上げたこの「今踊」ですが、ダンスが踊れない方々に、舞踊鑑賞の機会と捉えて頂きたく、今年も開催の運びに至りました。

現在、世界のダンス界も、人間が審査することの行き過ぎによって、次々にダンスにおける(大事なもの)が、失われている感じがします。

それは、人に阿ることにより、神の存在を忘れてしまったがごとき感があります。

西洋キリスト教世界でさえ、この有様なのですが、無宗教の日本にあっては、その存在すら稀有であるのは、自明の理でありましょうか。

私は、昔のあの心を躍らせて魅入った、英国のチャンピオン達の踊りの神性さを、決して失いたくないと思っています。

何故ならそれを失うことは、同時にダンスの破滅に繋がると、考えているからです。

しかし時代は動いています。

もちろん新しい息吹を、無視することは出来ません。

私はその双方の舞踊の合流を、目指しているといっても良いでしょう。

そして踊りに関心がない人々だからこそ、私は「今踊」を鑑賞して頂きたいのです。

何故ならそこに、日本文化や海外文化の合流も、存在するからです。



0 コメント

時代を超えて

先日、十数年ぶりに、元生徒が訪ねてきました。

彼女は昔カップルを組んでいて、それで私がカップルレッスンを教授していたのですが、リーダーとカップルを解散した後、別のリーダーと暫く組んで、それも教授していましたが、最終的に縁が無かったようで、結局これも解散してしまい、年始状のやりとりだけの、お付き合いになっていました。

それが今回、名古屋のNカップルの車に同乗して、来校してきたのです。

今回の彼女の目的は、自分の孫のレッスンの為でした。

彼女の孫は今、中学生と高校生のカップルと、小学生のカップルを組んでいるのですが、その孫達が今年の武道館における試合に参戦するので、そのサイドコーチを願って来たのです。

私は幼稚園生は教えたことはあるのですが、年少者のカップルは教えた経験が無かったので、やや緊張気味の御対面でした。

しかしレッスンが始まってしまえば、そんなことは忘れてしまい、いつの間にか教授に熱中している私が、そこにはいました。

子供というのはハッキリしていて、少しでも誤魔化しや偽りがあれば、全く言うことを聞きません。

しかし今回の子供は、私の教授内容を理解し五感で感じ取って、吸収して行ってくれました。

彼等が去った後、妙な疲れと充実感が残ったのですが、それは貪欲な吸収力の「餓鬼」に接した疲れと、次の時代に自分の教えの種を残したという、充実感だったようです。

私は今まで、自分の研究結果や悟りは、このまま墓場まで持っていくしかないのかという、孤独感にさいなまれていたのですが、おばあちゃんに一生懸命に教えていたことが、孫という若い芽に受け継がれていくというこの現実に、頑張ってきて良かったと、その日は乾杯しましたのでした。

まさしく私が撒いた種は、思いもよらない所に、次の種を撒いたようです。

それは、私が全く予想だにしない場所でした。

人間の営みというものは、面白いものです、、、。

 

0 コメント

惜しい逸材

先日、時間があったので、珍しくuTubeで、動画を閲覧していた時のことです。

最近英国で、すっかりその動向が聞かなくなった、イタリア生まれの元世界チャンピオン、ミルコの、最新競技風景とデモ風景を、偶然観かけることが出来ました。

私は彼のアマチュア時代の踏風が好きで、ロンドンの選手権で観戦する時も、アマチュアでは彼しか目が行きませんでした。

彼の踏風はイタリア風とロンドン風が程よくミックスされたもので、その師匠筋の確かさが、それは伺えたものでした。

そんな彼がプロに転向しマーカスに師事して、プロチャンピオンにまで上り詰め、ミルコ時代の到来かと思っていたところに、思わぬ伏兵が現れました。

現チャンピオンのアルナスです。

彼に抜かれるまでのミルコの踊りは、迷いが一切ない、踊りが大好きな青年の踊りでした。

しかしアルナスに抜かれて、一位の座を明け渡してからのミルコの踊りは、私見ですが、荒れて見えました。

これは雑誌の情報ですが、何でも彼は、『自分が負けているのは、自分に政治力が無いからだ』『踊りでは絶対負けていない」と言っていたそうですが、果たしてそうでしょうか。

同じマーカスの弟子である彼らは、そのテクニックの上下は、本人が一番分かっているでしょうから、あえて言及しませんが、今のミルコを見る限り、「神に見放されたな」という感は、否めません。

競技というものは、人間が審査します。

だから人間が気に入ってくれる踊りが一番であると考えるのは最もなことです。

だからミルコは人間に訴求する踊りを、追求してしまったような気がします。

彼の現在の踊りからは、昔の「神性」が、すっかり消え失せてしまっていました。

彼の踊りは「王様に気に入られる」タイプの踊りに、すっかり変貌してしまっていました。

昔の「神の御前での踊り」は、すっかり無くなってしまっていたのです。

現在のダンス界で、「神の御前の踊り」を志向しているのは、現チャンピオンのアルナスだけです。

二位以下は全員、「土塊と塵を如何に清めるか」に終始しています。

当然人間ならば、こちらの追求も必要なことです。

しかし「魂の清浄」を忘れて、「土塊と塵」を、いくら清めてみたところで、清々しさは伝わって来ません。

私はミルコなら、この矛盾した二つに切り込んでくれるのではと期待したのですが、今はとても残念でなりません。

現チャンピオンが引退したら、世界のダンス界は、魑魅魍魎が闊歩してしまうのでしょうね。


仕方ありません。

私は弟子と、「今踊」を追求して行くとします、、、。

0 コメント

それはオメデトウ

先月紹介しましたように、今、月一の東京での支局練習会に来ている青い目の彼が、今日行われた支局練習会で、「開幕戦で優勝しました」と、嬉しそうに報告してくれました。

優勝者デモ風景の動画を見せてもらったのですが、「変な外人」ではなく、「上手そうな外人」に見えていました。

今日の「お題」は、「消化器の代わりに呼吸器を、腸の代わりに尿道を」という、リード&フォローです。

育った所がアメリカ系の彼は、当然呼吸器と腸のコンビネーションで、日本人のパートナーは当然消化器と腸のコンビネーションなので、新たなリード&フォローにはビックリしていたようですが、そのうち新しいおもちゃを買ってもらった子供のように、夢中になって練習していました。

異国人同士のカップルを育てるには、コツがあります。

それはDANCEを教える前に、異国人同士のギャップを理解し、それを理想のDANCEに誘導してあげることです。

その為にはDANCE以外の勉強も、当然育てる側には必要です。

私は果物や野菜を年間で育てるようになってから、「育つのには時間が必要」であることを、勉強させられました。

「這えば立て、立てば歩めの親心」とは、良く聞かされた言葉ですが、親心では他人は育ちません。

「早く一人前に」が一番危ない。

「その時期に合った育て方をしてあげる」のが一番だと、今は自然体で行っています。

「せっかち」の私がです、、、。

1 コメント

今、流行っているもの

今有限会社カワサキダンススクールで流行っているものは「細胞レベルで暮らす」です。

これは「肉体レベルで暮らす」の対極に位置する概念ですが、別に難しいことではありません。

例えば私達がペンを持って、英語のスペルを紙に書こうとする時、ペンを持った時とは別の、体の動きがとって変わります。

持った時が肉体レベル、書こうとした時が細胞レベルです。

実は肉体レベルの行為は体細胞分裂の流れで、細胞レベルの動きは減数分裂の流れなのです。

私達の日本文化は体細胞分裂の動きは外に見せますが、減数分裂の流れは奥に隠し消滅さえ図ります。

だから外に見える日常の生活習慣や文化は、体細胞分裂のそれになっています。

これに反して西洋文化とは、体細胞分裂の流れを奥に隠し、減数分裂の流れを表に出してきます。

日本人の西洋文化吸収が、単なる「猿まね」で終わっているのは、どうやらそのあたりに原因があるようです。

そこでカワサキでは減数分裂の細胞レベルでの動きを、より拡大しダンスだけでなく生活に取り入れてもらうことにしました。

この減数分裂の秘密は受精ではなく、受粉の時の動きなのです。

だから今の季節にピッタリ。

体の中の植物細胞の動きであると言えば、お判りでしょうか?

(多分、余計混乱なさると思いますが、、、)

人間には、男と女の区別なく、等しく男と女の性的エネルギーが存在します。

それを理想的な形で植物細胞において表現し、自己の魅力を高めて行こうというものなのです。

成果は着々。

発表が楽しみ、、、。

0 コメント

それは腐るわな

今この「今踊」の世界に、海外の目が注がれています。

現在、月一回東京の「今踊」プロ研究者の面倒を見ているのですが、そこにアルゼンチン出身の青い目の二世が来ています。

そこには、バングラディシュのプロも来ているのですが、総じて外人に教えると、私の理論が日本人より浸み込みやすいので、とても勇気付けられるのです。

彼等は日本に来て、チャンピオン教室に習いに行っていたのですが、その舞踏理論に満足していなかったようで、今熱心に勉強しています。

ただ「真っすぐ立って」「この位置に足を出せ」では、悲しくなってしまいますよね。

今日はそのアルゼンチンの青年に、ダンスのルーツがキリスト教にあること、それもアダムとイブの旧約聖書にその、コネクションの元があることを説明しました。

キリスト教の青年にキリスト教の元を説くのは、何か変な感じですが、何故かとても納得してくれて、アダムとイブの神に戻る合体が肋骨にあることや、その意味でマクロからミクロへ運動する必要性が生じることも、心底理解してくれたようでした。

パートナーは日本人なので、理屈では分かっても、キリスト教徒の彼のように、心底理解するには、長い年月がかかるでしょうが、それでも上手くコネクションが取れた時には、非常に彼も満足そうで、その後も休まず練習していたのが印象的でした。

実はダンスの中の宗教的な部分は、日本人に説明して納得させるのが、とても大変なのです。

青い目のキリスト教徒には、常識で通用することも、相手が日本人では、誠に勝手が違います。

だから逆に、青い目のキリスト教徒の選手が日本に来て、チャンピオンに踊りを習っても、常識が通用しないので、きっと腐ってしまうのでしょうね。

「今踊」は、ひょっとしたら日本より、海外の方が受けがよいかもしれませんね、、、。

0 コメント

早速 幸運が!

早いもので、もう2月。

明日から節分・立春と、自然界は活動を開始します。

前回のブログで、『今年は幸運を指導したい」と書いたのですが、早速幸運な結果が舞い降りました。

外弟子の横浜の工藤選手カップルが、移籍後の二回目のプロラテンの試合で、見事B・C・D級完全制覇をやってのけました。

一回目の試合では負けた、移籍団体の御曹司達に見事、外様で勝利したと報告が有りました。

彼等は私達の提唱する踊りに共鳴し、「この踊りで登り詰めたい」と思っていただけに、コネやカネを排して実力で勝ち取ったグランドスラムは、格別嬉しかったことと思います。

彼等は私が「開運新年会」で配布した「幸運の御守りを」衣装に忍ばせて踊ったそうです。

そうです、競技ダンスは幸運が支配し、DANCEは幸福が支配するのです。

有り体に言えば、幸運とは腹部にある人間の温かみのこと、幸福とは胸部にある天地の冷酷な真理のことです。

前回のブログでも書きましたが、日本は腹部の冷たい真理を求め、胸部に縋る暖かさを求めます。

つまり人としての甘えを排除し、自然や宇宙や宗教に甘えを求める傾向が顕著なのです。

だから世界のダンス競技会に於いても、審査員に甘えDANCEに狼狽えているのです。

これはそのまま現在の日本にも当てはまります。

人の統治に甘えを求め、統治者の人間性に100%を求めて、愚を世界に晒しています。

まるで自分の踊っているダンスが世界の誰よりも上手い、と言っているアマチュアのように、私にはそれらの人がダブって見えます。

大事なことは、残念でしょうが、世界の人と仲良くする事では有りません。

世界の人の宗教や哲学といった冷たいまでの強固な真理に、いかにそれ以上の真理を見つけ他国を引き込んでいくかです。

そしていかに国民として、この民族の人としての暖かさを、他の国より高めて行くかなのです。

幸運の御守りとは、究極の人間の暖かさを失わない為のものです。



0 コメント

開運とダンス

私達の周囲には、外的磁場と内的磁場が存在します。

外的磁場とは私達が求める幸不幸。

内的磁場とは私達に付きまとう運不運です。

私達舞踏家は、幸福感に向かい表現し、不幸感を味付けにします。

しかし向かう私達自身が不運の持ち主ならば、いくら最高の表現をしたとしても、比較対象の世界では、幸運の持ち主には敵いません。

幸運の持ち主は、何をやっても不運の持ち主より、成功することが許されます。

しかしその幸運が長続きするかというと、そうは簡単にはいかないのです。

一斉を風靡した世界チャンピオンが、ある時期を境目に不運に見舞われてしまうことは、よくあることなのです。

ここで確認しておかなければいけないことは、外的磁場の幸不幸は絶対的であり継続的であること。

それに対して内的磁場の運不運は、限定的であり時限的であるということです。

つまり外的磁場の幸不幸と内的磁場の運不運とは、同時進行しているということなのです。

だから幸運な踊り手が不幸を演じたら絵になるのですが、不運な踊り手が不幸を演じたら、シャレにならないということなのです。

もちろん幸運な踊り手が幸福をを演じるのは、至高であるに相違ないのですが。

さて、この外的磁場の幸不幸も内的磁場の運不運も、実は私達の考え方次第で、どうとでもなるものなのです。

しかし外的磁場の幸福は、遥か彼方より引きよせなければならないのに対し、内的磁場の幸運は、「足るを知る」ことが出来なければ逃げて行ってしまいます。

私達日本人は、「身近な幸せと彼方の幸運を」夢見て生きている民族です。

だから理想的な幸福と幸運は、おいそれとは手に入れることは出来ません。

今年はその「幸運」を指導していきたいと思っています。


0 コメント

DANCEは非日常,でも非常識ではない

ダンス界には、その世界だけのルールというか、決まり事が存在します。

それがプロの集団組織になると、余計にその程度に拍車がかかります。

日本のプロダンス界は、日本舞踊の特殊社会を色濃く継承しているように思えます。

だから法外な値段と御礼で、どうとでもなる社会構成であるようです。

だから例えバブルが崩壊しようと、そんなことはお構いなしに、「ウチはウチ」とばかりに、客から搾取を続けていました。

それがどうやらここへ来て、搾取システムの教室が、徐々に姿を消しているという、報告が入ってきています。

それはそうなっても不思議ではないと思います。

何故なら日本ダンス界の「非常識」は極まりないものでしたから。

昔はその非常識を続けられるのが、上客であるという、生徒のステータスだったのですが、その構図は脆くも崩れ去ったということなのでしょう。

それでは本場の英国はと言いますと、「適正価格の模索」を昔から続けているようです。

もっともその「適正価格」も、当人の主観によるものですから、「この先生がこの値段?何を考えているんだ?」という疑問が、生じる場合もありました。

昔は世界チャンピオンでさえ、年に千円単位の値段上昇であったようです。

その頃の日本チャンピオンは、まさにこの倍の値段を、臆面もなく搾取し続けて、その非常識な世界故の、理由付けをしてきました。

しかし英国の適正価格を模索する社会は、時代の流れと共に、比較的アップtoデイトに、値段設定をしてきました。

その意味では「常識的」であったと言えます。

しかし彼等の踊りは「非常識的」でありました。

日本の踊りの好みや審査が、日本人にとって「常識的」であったのとは、対照的です。

「非常識」な彼等の踊りは、「宗教観」「世界観」「宇宙観」等によって、構成されておりました。

だからそれを学んだ私の、踊りや行為や生活が、日本人にとって非常識的と映るのは、仕方のないことです。

しかし本来舞踊というものは「超常識」の世界です。

それを学ぶということは、「超能力」を身に付けていくことと一緒です。

「日本の常識は世界の非常識」と言う言葉が昔流行りました。

しかし今は「日本の超常識が地球の常識」と考えたほうが良いでしょう。

我がKDSも「超」常識で、決して「非」常識ではありません、、、。が

 

0 コメント

皆様、熱くなっています

只今、FacebookやTwitterやGoogle+そしてLINE上で、私が今まで熟成させていたことを、一気に公開投稿しまくっています。

毎日の投稿のため、この校長のブログには、なかなか手が回らない次第で、このページの読者様には、大変御無沙汰しております。

毎朝7時の投稿も、愛読者の方が待ち受けていてくれて、「いいね」「シェア」の一番乗り合戦を、繰り広げてくれています。

誠に有り難いことです。

ダンスに限った話ではないので、直接このホームページに、載せたりはしませんが、私がDANCEを追求していく過程で、悟ったことや修行したこと等の集大成を、一般の方の話題を通して展開しています。

どうぞ、長編ブログ朝刊に興味のある方は、Google+の<有限会社カワサキダンススクール校長 川崎公慈>に、御尋ね下さい。

また短文が良いと思われる方は、Twitter<老師>をツイート下さい。

 

 

 

 

0 コメント

謹賀新年

明けましておめでとうございます。

いよいよ一年のスタートが切られました。

一年のスタートには、新年と立春と、二つのタイプが有りますが、どうやらダンスには、新年からスタートを切る方が、合っているような気がします。

やっぱり生まれが西洋だからでしょうか?

というわけで新年の御集りを、立春前にすることにしたのですが、そこでハタと困りました。

正月を過ぎて、立春の前にすることといえば、トンと思い浮かばないのです。

いろいろと思いあぐねた結果、「開運」をテーマにする、新年会を企画しました。

クリスマスや新年は、西洋キリスト教や寺社仏閣詣でのように、宗教的な幸せ感に溢れています。

しかしそのような外的幸福感とは別に、私達人間には、内的幸福感というものが存在します。

それが吉凶の、吉を求める「開運」というシステムです。

ダンスにおいては、この開運システムは、動きません。

つまり「不動」の状態にしておくのが、求められるのです。

しかし不動の状態が「凶」なら、踊り手やパートナーそして観客は、興味を失ってしまいます。

つまりダンスにおいては、「不動」の「吉」が、求められるのです。

踊る本人はもちろんのこと、相手は「吉」の相手と踊る方が、「凶」の相手と踊るより、ずっと幸せに決まっています。

また観客の方も、「凶」の人の踊りを見るより、「吉」の人の踊りを見る方が、自分も幸せになれるのです。

というわけで、今年は年初から、この「吉」を参加者に、プレゼントすることにしました。

名付けて「開運新年会」。

中身は只今検討中。

乞うご期待。


2014年のロンドン・ロイヤルアルバートホールで行なわれる、インターナショナルダンスチャンピオンシップスも、先週の木曜日の夕方から深夜にかけて行なわれ、無事終了しました。
結果を見る限りでは、「相変わらずの結果」ではありますが、「英国のダンス人が、danceを少し大切に扱い始めたな」と感じたのは、私だけでしょうか。
当日の会場では、相変わらず、トッププロの停滞、中国系ダンサーの進出等、前年と変わらない光景が、繰り広げられてはいましたが、英国人ダンス愛好家の想いや、インターの大舞台で競技を争っている英国選手の想いや、それを支える英国人審査員やスタッフの想い等、何か熱い想いが伝わって来た、今回の大会でした。
そして競技ダンスというものの本質が、信仰心の争いであるということを、まざまざと見せつけられた思いがします。
日本人ダンサー、中国系ダンサー共に、勉強している分だけ、残ってはいるのですが、それはあくまで本質的な部分ではなく、選手権運営の経営的都合によるものであると、思われました。